今は亡き僕の父。元々父は競輪選手でした。
貧弱な体で自転車に乗り始め、わずか半年で日本競輪学校の試験に合格。
自転車に乗りすぎて足や手が動かなくなり、トイレに入ってもしゃがむことすら出来ず、ご飯は箸が持てなくてスプーンで食べていたようです。
それでも過酷な練習をやめることはありませんでした。
僕は父から競輪の話を聞くたびにうんざりしていました。
今となっては尊敬できますが、当時は父が僕に何を伝えたいのかが全くわかりませんでした。
毎日のように4時間~6時間も正座をさせられて、耳にタコができるほど同じ話を聞かされていたのです。
長時間の正座で足が麻痺しても足をくずすことは出来ません。
ちょっとでも動こうものなら箸と怒鳴り声が飛んでくるのです。
そうです、父の教育はまさスパルタでした。
それもただのスパルタではなくむちゃくちゃなスパルタ。
勉強しようとすると怒られ、それでも1番になれというのです。勉強だけじゃなく何でも1番になれと。
僕は父が恐ろしくてたまりませんでしたから、もちろん反抗なんて出来ませんでした。
殴られることも当り前で、心の中でしか反抗できなかったのです。
クソ親父は頭がオカシイ。
1番になったからって何だっていうんだ?
1番になることがそんなに偉いのか?
早く父親から逃れたくて、大学の推薦の話は両親には話さず勝手に断り、とにかく上京することばかり考えていました。
北海道の田舎から上京した僕にとって、東京という街はとても魅了的でした。
電車が数分おきに走っている光景、超高層ビル、溢れかえる人々。
今となっては当たり前でも、当時は見るもの全てが新鮮でした。
そして何よりも嬉しかったのは、父親のいない生活です。
あの地獄のような毎日から逃れた僕は、まるで刑務所から出所したような? もちろん刑務所には1度も入ったことはありませんが、それくらいの開放感がありました。
工場の寮は2人部屋で古い建物でしたが、自分のテレビで好きな番組を見られる生活が夢のようでした。
実家では教育に悪いと、ビデオデッキすらなかったので、リサイクルショップで安いビデオデッキを買い、レンタルビデオ店でテレビドラマを借りた時の感動は今でも忘れられません。
人は環境に慣れやすい生き物で、時間とともに新鮮さが薄れていくものです。
はじめは工場の安月給でも大満足だったのに、時が経つにつれ物足りなさを感じるようになりました。
考えはじめるときりがないほど不安が込み上げてきて、自分はこのままでいいのだろうか、自分には何ができるのだろうか、どんな仕事をすればいいのだろうか……。
そして忘れかけていた父親の言葉が頭を過るのです。
「何でも1番になれ」と。
でもフリーターになってからは、更に不安ばかりが膨らんでいく毎日で、1番になるどころか今日を生きのびることがやっとでした。
元々僕は競争に興味はなかったので、1番なんてどうでもいいと思っていました。
なので父が僕に、「何でも1番になれ」といいつづけた理由がわかったのは大分時が経ってからでした。
父の口から直接聞いたわけではないので、あくまでも僕の解釈です。
1番になれといいつづけたのは、僕が子供だったからでしょう。
本当に伝えたかったことは「何事も一生懸命取り組みなさい」ということです。
何も知らない子供に「一生懸命」とはどういうことかを伝えるために「1番になれ」という表現を使ったのだと思います。
1番になったから偉いとか、1番にならないと価値がないということではなく、一生懸命とは何かを伝えたかったのでしょう。
子供のころは何も考えずに出来たことでも、大人になると出来なくなることがあります。
それは、結果を求めてしまうからです。
意味がないと思うことはやらない、価値のないと判断するとやめてしまう。
みなさんもそんなことはありませんでしたか?
一生懸命取り組むことよりも、それをやることに何の価値があるかを考えてしまう。
本当は無駄なことなんてないんですよね。
子供のころは意味など考えずに一生懸命できても、大人になると表面的な1番にこだわってしまいます。
人より優位にたつための手段に目がいってしまいます。
表面的な1番がいいのではなく、一生懸命に取り組む姿勢が誰よりも1番であることが大切です。
それが生きることへの感謝だと思います。精一杯生きるということです。
サイコロの振り方にこだわるのではなく、とにかく一生懸命サイコロを振りつづけること。
それが結果的に1番への道へつながっているのだと僕は気づきました。