◆思い通りにいかないことの存在
人との関わりが大の苦手だった僕が、営業成績全国1位を何度も受賞することができたのは、「落ち込んだ時の対処法」を習得したからだと思います。
人は、自分の意に反する事態に遭遇した時に落ち込みます。
落ち込みたくないから、自分を正当化しようと人のせいにしたり、怒ったりする人もいます。
でも人は、落ち込まないということはできません。
落ち込みをゼロにするということは、全て自分の思い通りで、自分の意に反する事態が起こらない世界にするということです。
この現実の世界では、ありえないことです。
人は感情をもった生き物です。それぞれに意志を持っています。
生まれてから今日まで、見たもの、食べたもの、住んでいた場所、一緒に過ごしてきた人も、みんな違うので、物事の捉え方が違います。
どれがいいとか悪いということはありません。
共存している世界ですから、尊重することが大切です。
思い通りにいく人がいれば、反対に思い通りにいかなくなる人もいます。
思い通りにならないと人は落ち込みますが、実はこの存在が大切です。
思い通りにいった時に喜べるのは、「思い通りにならないこと」があるからです。
人の感動は、思い通りにならなかったことと、思い通りになったことの差で決まります。
計算式にすると、
思い通りにいくこと - 思い通りにならないこと = 感動
です。
例えば、欲しい洋服があったとしましょう。
毎日一生懸命働いても、買えない金額の洋服です。
すぐに買えないということは、思い通りにならないことです。
1ヶ月経っても、1年経っても手が届かない。
でも2年間一生懸命働いて、ようやく買えたとしたらどうでしょうか。
思い通りにならなかった2年間の存在があるからこそ、その洋服を手にした時の感動が大きいのです。
もし、大金持ちで、好きな洋服はいつでも買える人がいたとしましょう。
その人は好みの洋服を手に入れる時に思い通りにならないことが少ないのです。
強いて言えば、店に行くまでが面倒くさいという程度でしょうか。
買った瞬間は嬉しいでしょうが、感動が少ないのです。
先程の計算式を思い出してください。
思い通りにいくこと - 思い通りにならないこと = 感動
思い通りにならないことが大きければ大きいほど、思い通りにいった時の感動が大きいのです。
つまり、思い通りにならなくて落ち込んだとしても、それは感動につながっているということです。
感動につなげるには、落ち込んだ状態で何をするかです。
思い通りにならないことが起こった時、思い通りを手に入れるにはどうしたらいいかを学べるチャンスです。
意外とシンプルなものです。
僕はわかりやすく、営業に例えていますが、
契約が取れないことは思い通りにいかないこと、契約が取れるのは思い通りにいくこと、
契約が取れないことが多ければ、契約が取れた時の感動が大きいです。
契約に結び付く行動はシンプルです。
伝えるだけです。
落ち込んだからといってその後何もしなければ、ずっと落ち込んだままです。
落ち込んでも、誰かに伝え続ければ、いつか契約になります。
◆辛い落ち込みの経験
あの日僕は、いつものように客先へ向かうために車を走らせていました。
忙しい仕事の時間に、姉から電話がかかってくるなんて意外でした。
というより、僕は姉の存在すら忘れかけていたことに気づかされました。
僕が27歳の頃でした。
ひどい奴だと思われるかもしれませんが、僕は家族なんてどうでもいいや、と思っていました。
北海道の田舎から家出した僕にとって、生まれ育った街は約10年の間に、とても遠い場所になってしまっていました。
家族で唯一連絡を取り合うのは姉だけでしたが、その姉とすら最後に電話で話したのがいつだったのか、長い年月が僕の記憶を曖昧にさせました。
急いで路肩に寄せたせいで雑な停め方になってしまいましたが、電話をかけてきた相手が姉だと知り、何故かあの日は丁寧に停め直す余裕を失いました。
携帯電話の小さなボタンを1回押すだけでつながるのに、僕はそれをためらい、しばらく固まっているだけだったのです。
どうして電話がかかってきたのか、その理由を必死で考えようとしている自分がいました。
電話に出ればすぐにわかることなのに、頭の中で竜巻が勢いよく暴れまわり、鼓動が一気に早まりました。
この感覚は一体何なんだ?
僕は深呼吸をして自分を落ち着かせようとするのですが、妙な感覚はやむことはありませんでした。
まるで他人事のようですが、僕はきっと嫌な予感がしたのだと思います。
しばらく鳴りつづけていた着信音が収まったかと思うと、またすぐに電話がかかってきました。
画面には姉の番号が表示されていて、僕をせかすように着信音は鳴りつづけています。
エンジンを切るとワイパーが中途半端な位置で止まりました。
訳のわからない緊張感の中で、僕は3回目にかかってきた電話でやっと通話ボタンを押すことができました。
「もしもし」僕が小さな声を送り込むと、それを吹き飛ばすかのような勢いで姉の声が響きました。
話の内容は実に短いものでしたが、僕の頭は、それを理解することを拒みました。
人は大きな衝撃を受けると感覚がおかしくなる、と聞いたことがありますが、まさにそんな状態でした。
電話を切ったあと、僕は車のエンジンをかけ、何もなかったように客先へ向いました。
「まさか」
「そんなことはありえない」
「きっと何かの間違いだ」
運転を続けながら僕は呟きました。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」
15分ほど、そんな調子で車を走らせていたのです。
無理に笑おうとしても、次第に顔が引きつり、目の前の景色が歪みはじめました。
それはフロントガラスに当たる雨のせいではなく、間違いなく僕の目に溜まった涙でした。
溢れた涙が1滴頬を伝うと、その後は、まるでダムが決壊したかのように、顔中を濡らしました。
僕は自分が号泣していることで、やっと我に返り、さっき姉が電話の向こうで話した内容を、やっとその意味を、僕の頭が理解しはじめたのです。
急いで、来た道を引き返している間、姉の言葉が何度も僕の頭を締め付けました。
お父さんとお母さんが、自殺した
お父さんとお母さんが、自殺した
お父さんとお母さんが、自殺した
お父さんとお母さんが、自殺した
お父さんとお母さんが、自殺した……
言葉にならない声で、僕は泣きながらハンドルを握りしめていました。
僕は人生最大の落ち込みをこの時経験しました。
とても後悔しました。
どんなに悔やんでも、2度と取り戻すことのできない事実。
父親と母親と言葉を交わすことも、顔を見ることも、もう僕の人生では実現不可能となりました。
あの時僕は、生まれてはじめて本当に死んでしまいたいと思いました。
自分の存在が悔しくてたまりませんでした。
そんな人生最大の落ち込みから僕を救ってくれたのは、父親と母親からの最後の贈り物、「落ち込んだ時の対処法」だったのです。
2人からの贈り物を身につけた僕が、過去を振り返って思うことがあります。落ち込むことでどれだけ無駄なストレスを溜めていたのだろうか、ということです。
◆1億総落ち込み時代に必要な処方箋
両親が自殺してから10数年の月日が流れました。
景気は回復していると言われていますが、右を見ても左を見ても、誰もが落ち込んでいます。
1億総落ち込み時代突入といっても過言ではないほどです。
こんな時代でも僕が生き続けられているのは、「落ち込んだ時の対処法」のおかげかもしれません。
僕は、両親がこの世を去る以前、営業で良い成績を取るには断られることに慣れればいいと思っていましたが、それは間違いでした。
「単に断られることに慣れる」だけでは、本当の落ち込みからは解消されない、ということに気づかされたのです。
何故なら、断りに対する慣れは、「諦め」を作り出してまうからです。
1億総落ち込み時代に必要な処方箋、それは単に断りに対する慣れではなく、「落ち込んだ時の対処法」だとわかりました。
落ち込みは感動につながっている、ということに気づくことです。
死んでしまった両親からどのように教えられ、どのように僕の営業経験とリンクしたのか、それについても触れておこうと思います。
両親が自殺した日、最終便に間に合わなかった僕は、電車で向かおうかとも考えましたが、何とも言い難い脱力感が襲ってきたので、東京駅へは行かず、浜松町で降りることにしました。
どうせ今日北海道に着いたところで、両親が生き返るわけではない。当たり前のことを自分自身に言い聞かせながら改札を抜けました。
夜の街を彷徨っていると、はじめて父親を押し倒して家を飛び出した日の映像が頭に浮かんできました。
思えば僕は、いつだって父親と闘っていました。
それは対等な闘いではありません。
ライオンと人間、いや、もっと大きな差がありました。
ライオンVS蟻んこ、そんな表現が適当かもしれません。
僕は父親のことが恐怖でした。
何も話さなくても、その存在だけで恐ろしかったです。
父親との闘いは、いつも僕の心の中だけで繰り広げられていました。
無論本人を前に闘えるほどの勇気を僕は持ち合わせていませんでしたし、唯一反抗した、あの日でさえ、僕は闘ったのではなく、父親を押し倒してしまった恐怖から、その場にいられなくなって逃げ出しただけでした。
僕は実に情けない人間だったのです。
父親との記憶といえば、叱られたり、殴られたことしか出てきません。
実家にいるのがたまらなく嫌で早く家を出ることしか考えていませんでした。
ふいに蘇った記憶はあまりにも鮮明で、まるで昨日のことのように、僕の頭の中のスクリーンを埋め尽くしました。
◆落ち込んでも人生を落ち込ませてはいけない
結局一睡もしなかった僕は、朝一番の飛行機で羽田から函館に飛びました。
しばらく見ないうちにふるさとは別人のように変わり果てていましたが、4月だというのに春になりきれない冷たい風は、あの頃のままでした。
人混みの中で忙しなく暮らすことに慣れてしまった僕にとって、人気の少ない景色はより一層悲しく映りました。
到着した場所は、誰もいない広い会館でした。入口の隅に腰をおろしてすすり泣く姉の姿と、ずっと遠くの方に並べられた2つの棺。
その場に膝まづくと、どっと涙が込み上げてきました。
僕はしばらく棺に近づくことができなかったのです。
2人が死んだことを認めたくないという思いがきっとそうさせていたに違いありません。
死んだ人間が生き返るはずはありませんが、あの日見た2人の寝顔は、まるで生きているようでした。
僕が父親の顔をあんなにも真っ直ぐ見つめたのは、生まれてはじめてで、そして最後でした。
やがて2人の体は焼かれ、真っ白な骨になったのですが、あまりの儚さに僕は言葉を失いました。
2人が命を絶ったという車の後部座席には、たくさんの練炭が残っていて、母親が座っていた助手席のダッシュボードには、小さく丸められたティッシュが1つ転がっていました。
きっとこの狭い空間で泣いていたのでしょう。
遺書に子供たちの名前を書くとき、どんな思いだったのか。
名前の他に書かれていたのは、「ありがとう」の5文字だけで、他に何か言いたいことはなかったのか。
こんな親不孝な僕を最後に殴りたいと思わなかったのか……。
色々なことを考えながら僕は何日も眠れない夜を過ごしました。
きっと2人は自殺してしまったことを後悔しているはずだ。
だからもう1度、必ず僕の前に姿を見せにくるに違いない。僕の根拠は、全くもって根拠とは言い難いものでしたが、それでも信じて待ちました。
電気を消したほうが姿を現しやすいのかとか、玄関のドアを開けっぱなしにしておけば入ってきやすいのではないかとか、色々と試してはみましたが、そう簡単にはいきませんでした。
異変が起こったのは、更に何日も経った後でした。
暗闇のずっと遠くから叫び声が聞こえてました。
徐々に大きくなる声。何を伝えようとしているのかは聞き取れないのだけれど、とても苦しそうな声でした。
声だけは近づいてくるのに、いっこうに姿を現さない。
やがて耳を切り裂くような悲鳴に変わり、聞いていた僕も叫ばずにはいられませんでした。
耳を両手で押さえつけようとした瞬間、目の前に突然映像が現れ、それが夢だったことに気づかされました。
全身は汗でずぶ濡れになっていて、外からは発情期を迎えた猫の激しい鳴き声が聞こえていました。
ふぅ、とため息をひとつついたあと、頭のてっぺんから体の中にストンと何かが落ちてきました。そして僕はそれを呟いていました。
「死んだら人生が終わるんだ。そうだよな……」、その言葉が自分の口からこぼれ出たあと、僕は重大なことを学んだ気がしました。
自分もいつか必ず死ぬ、生きているのは今この瞬間、この感覚はまさに今しかない。
当たり前のことですが、僕はそれまでわかっているようで全くわかっていなかったことに気づかされました。
死ぬということがどんなことなのか、そのことが自分の中にストンと落ちてきました。
両親の自殺という究極の落ち込みから、「学び」を得たことで、僕は落ち込みの存在を知りました。
落ち込みは感動につながっている、のです。
思い通りにいかないことすら、人間でしか感じられない貴重な体験なのです。
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