僕は、両親が自殺してから、生きるとは何かについてずっと考えてきました。
僕自身、宗教も信仰していないし、科学で証明されていること以外は信じてきませんでした。
今も根本は変わっていませんが、それは物質世界で生きることが前提です。
もしかすると、3次元プラス時間以外の次元も存在するのかもしれません。
想像すると夢があって面白いですね。
目に見えない存在に頼り過ぎるのもよいことと思えないし、その存在を頑なに否定するのも偏った考えであると思います。
物質世界で生きるうえで必要であれば、想像するのもいいと思います。
僕にとって物質世界で生きるとは、「流れ」です。
流れと表現すると、軽々しく思われるかもしれませんが、貴重な流れです。
人類が誕生してからみんな生きようとしています。
できるだけ長く人類をこの世に存在させようとしています。
だから今があります。
流れるとは、自分の考えを持たないということではありません。
考えを持ちながら、みんなと一緒に流れを作るということです。
流れの一部が自分という存在です。
共存は、尊重しなければ成り立ちません。
できるだけ長くみんなで生きていくには何が必要なのか、そのために意見を言ったりしっかりと自分の考えを述べるのも良いことだと思います。
それも全部ひっくるめて流れです。
流れは今の最善です。
流れを作るうえで大切なのは、みんなが幸せになること、それに近づけること。
できるだけでいいと思います。無理のない範囲で。
尊重し、できるだけ自分ができることをすればいいのだと思います。
この流れに反する(裏切りや人を遠ざけたりすること)をすると辛くなったり、苦しさを感じるものです。
それは全て自分が作ってしまっているものです。
自殺もそうです。
偏りです。
物質世界を成立させるためには、あるかないか、右か左か、上か下か、良いか悪いか、など定義する必要があるので、苦しみます。
定義しなければ成り立たない、でも定義しなければいけないことが流れに反発する要素を生み出しているのも事実です。
矛盾した不安定な中で偏りそうになりながらもバランスを取り続けている状態が物質世界だと思います。
もし困ったり、苦しんだりしたら、自分の中の偏りを見つめてみるのもよいでしょう。
流れに反する思い込みがないかどうか。