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僕の父親はとても気が強い人でした。
小さい頃にとても貧しい暮らしをしていて、大人になったらお腹いっぱいご飯を食べたいということ、それと母親に幸せな暮らしをさせてあげたいという気持ちで競輪選手を目指したようです。
貧弱な体にもかかわらず、わずか半年の間に極限の肉体改造をしてテストに合格しました。
父親は、気が強くて負けず嫌いで、決めたことは必ずやり遂げる性格でした。
だからこそ競輪選手になれたのかもしれません。
単に気が強いだけであればいいのですが、無茶苦茶なところもたくさんありました。
父親はよくこんなことを言っていました。
「進んでいいか悪いかを決めるのは信号機じゃない。進むか進まないかを決めるのは俺だ」
ボーっと聞いていると、どこかの偉い人のありがたいお言葉のように聞こえてしまうかもしれませんが、絶対にいけないことです。
父親は、車を運転している時に平気で信号無視を繰り返していました。
当然のことながら、ある時警察に呼び止められました。
警察の方が何を言おうが父親は聞く耳を全くもたいなのです。
「テメーふざけんじゃねー、俺は急いでんだー!」と。
あまりにも言うことを聞かないので、警察の方も相当頭にきたようで、「逮捕する!」と言い出してしまったんです。
僕は、ただ茫然と立ち尽くしているしかなくて、ともて情けない気分になりました。
警察が逮捕すると言っても、父親は「ふざけんじゃねー!」と言って手錠をハメさせませんでした。
父親は既に亡くなっていますから、今だから言える話ですが、無茶苦茶なことがたくさんありました。
父親は自分の意見を絶対に曲げない人でした。
当時僕は父親は強い人だと思っていました。
でも今振り返ってみると、弱い面がたくさんあった人だと思います。弱い人だったんですよ。
競輪選手の時に1度自殺未遂をして、僕たちが小さい時には家族で心中をはかったこともありました。
その時はたまたま助かったので、僕も今こうして生きています。
3回目は、父親と母親が2人で自殺をして、本当に死んでしまいました。
僕は父親のことが大嫌いでしたから、父親のようには絶対になりたくないと、いつもそう思っていました。
気が強い人ほど弱い面を持っています。
僕が上京して、20代前半の頃、心の中でよくこれを呟いていました。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノカゲノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
本当に強い人とはこういう人なのかもしれませんね。