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「人のためは人のためではない」
ちょっと極端なタイトルにしましたけれど、人のためというのは結果的なお話だと思います。
まずは自分が楽しく、自分が得意なことを伸ばしていけばいいと思います。
その結果、誰かが喜んでくれれば、それは人のためになったということになります。
先に人のためではなく、まずは自分は何ができるのか、自分が何をしたいのかが先だと思います。
ある時、そのことに気づかされる出来事がありました。
僕は、20代前半の頃、安い時給でアルバイトを掛け持ちしていた時に、毎日悩んでいました。
この先自分は、どんな仕事をして生きていったらいいのだろう、と。
世間的には、人のためになることをやりなさという考えが多くて、僕もそう考えたことがありました。
そして、暗い性格だった僕は、人の前に出るのが苦手だったので、陰で人のためになるような仕事はないかなと思って、求人誌で仕事を探しました。
それで見つけたのが、葬儀屋さんのお仕事でした。
これなら人のためになれるんじゃないかと思って、早速面接に行きました。
家族経営みたいな小さな会社で、社長はおじいさんでした。
一般的な面接というと、短時間でその人間を暴いてやろうみたいな感じで駆け引きすることも多いと思いますけれど、そのおじいさんは違いました。
おじいさんは、とても穏やかで優しく僕に語りかけました。
若いのに、よく応募してくれたね。
うちとしては、すぐにでも来てもらいたい。
何も話していないのに、採用してくれると言ったのです。
おじいさんは、話を続けました。
君が言うように確かにこの仕事は人のためになる仕事だ。
それにずっとなくならない仕事だ。
人はいつか必ず死ぬからね。
人が死ぬ限り、この仕事はなくならない。
この仕事をするうえで1つ問題なのは、人のためになるからといって実際にできるわけではない。
人が死んでいる姿を見るのは大変なことだ。
綺麗な死に方をする人ばかりではない。
時には、電車に跳ねられて、体がバラバラになってしまうことだってある。
嫌だから引受けないということはできないんだ。
ここに面接に来て実際に働いてみたら、できなかったという人もたくさんいる。
体が大きくて根性がありそうな人でも、実際に死んでいる人を見た時に足がすくんでしまう人もいる。
逆に、ひょろひょろで元気がなさそうな人が意外と活躍するということもある。
こればかりは、人のためになりたいからという理由だけでできる仕事ではないんだ。
だから1つ君に提案をしたい。
こちらとしては、いつから来てもらっても構わない。
でも、その前に他の仕事を色々やってみてもらいたいんだ。
何年経ってもいい、いつでも採用するから。
他の仕事を経験してみて、それでもやっぱり葬儀屋の仕事がしたいと思ったならば、その時にもう1度来てほしい。
まるで別世界の人のように感じました。
僕は、ハッとしました。
人のためは、もしかしたら、人のためでないこともあるのかもしれない、そう思いました。
例えば僕が、あの時葬儀屋さんで働いたとしても、すぐに辞めたら誰のためにもならなかったと思います。
人のためが先ではなくて、自分ができること、自分が興味のあること、自分の得意なことを伸ばしていく方が長く続けられますし、結果的に人のためになるんじゃないかなと思いました。
あのおじいさんの言葉は、「人のため」とは後から自動的についてくるものだということに気づくきっかけになりました。